無くなった

犬も16を越えてすっかり体も頭も弱ってしまい、夜中に吠える暴れる粗相するなどで家族も面倒を見ていたが、負担が大きいことと、本人も可哀想だというので安楽死を選択した、今日がその日で、さっきそれが終わった。母といとこと叔母さん(父の姉)は泣いていた。父と妹と自分は泣かなかった。

去年末、猫が一匹急死した。倒れたまま目の前でゆっくり呼吸が止まっていく光景を飲み込めないでいつつも、自分は結局泣かなかった。涙が出ないのはおかしいのだろうかと、こういう時思ってしまう。この猫(マル)はたまに夢に出てきて、俺は「やっと帰ってきたな」と思う。死んだことと、時々脱走してなかなか帰ってこなかったこととが、脳内では一緒くたになっているのかもしれない。でも実際に帰ってくるなんて起きているときは思わない、死んだら帰ってこれないのは知っているのに、夢の中の自分がそう考えないのは不思議だ。もしかして、本心では死は一時的なもので、またいつか帰ってくるものだとしか感じられていないのか。

犬(武蔵)との思い出はあるが、霧の向こうのように霞んでほとんど思い出せない。一緒にキャンプに行ったとか、車の窓から顔出して鴨川まで行って散歩して、たまに脱走して探し回って遠くのメス犬のところにいたとか、エピソードとして記憶していても情景はまったく浮かんでこない。

あの時、自分がどういう気持で武蔵に接していたのか、思い出せない。きっと泣くほど思い入れがないということだと思う。こういう時、心が乾いている気がしてしまう。祖父母が夏に亡くなった時も……。

本当に死んだのだという実感を持つのは、すごく難しい。空になったゲージとか、ホコリ被ったエサ皿とか、そういう残された空白を見た時に、少しずついなくなった事がわかってくる。その時は少し悲しい、やっと涙が少し出る。