玄武プール

  

俺は実際貶められていてそれに対しては常に怒ってるのだが逆に俺も誰かを貶めているのはそれはそうなので、それで相手に怒られても仕方がない、そしてその怒りを俺がなかなか正面から受け止められないということは、相手も俺の怒りを理解できないということもちゃんと許していかないと駄目なのか。それでも俺は俺として怒っていくべきなのか。しかし誰がそう言ってるのか。頭のなかに頭のいい人がいて、こうすべきああすべきと勝手なことを課してくる。これは治らないと思う。

 

薄毛のCMを見ていたら、同じ人でも発毛前と後との比較が映って、毛がある方が良いんですと、しかしそれを薄毛のCM(じゃない、発毛のCM)が言うのはマッチポンプじゃないだろうか?発毛のCMが薄毛をコンプレックスとして発信していたらそれはマッチポンプだと思うけど。

なにより、毛があってやっと普通なのだというメッセージが映像にはちゃんと込められている。俺は薄毛は本当は生理現象でしかないと理解しているし、それに個人差があるのだって仕方ないことじゃないのか。何故こういう努力をしなければならないのか時々わからない。街で、大学の教授っぽい禿げた人が歩いているのを昔岩倉の方で見かけたことがある。この話はどうでもいい。けど書きたかった。

 

人を貶めていることの大半は本質がない。本質的な部分でない、人が本質よりももっと重要視していることが俺が知っていたよりもっと多い。無駄が多いと思う。無駄な努力を強いられている気がしてしまう。そして俺はそれに勝てない。これは負け犬根性なのか?俺は一人で考えて立つことが全然できない。それが苦しいのかもしれない。

演技を強いられている気もしている。でも俺は全然まともな人間じゃない、妹がそうであるように。動物園にも遊びにも恋愛ごとにも興味が持てない。セックスは好きだ。一度もしたことがない。特に悲しく思うこともない。出来たらそれは良いこと。

 

なるべく沢山曲を作るようにしている。一番最初の曲の作成日時が3月4日だったので、4ヶ月半くらいで96曲。ペースとしては理想ではもう少し多く作れたらいい。とにかく量を増やして質は後から整えることにした。マスタリングという作業工程があって、そこで音のテクスチャーみたいなものを整える。この話は、あんまり誰も興味ない気がします。書く気力もない。

とにかく沢山作って、そこから40分程度のプレイリストを作り、アルバムとしてBandcampに投稿する。冒頭に貼ったのがそれです。

 

死ぬまで続いたらいいと思う。今年になってやっと続けていく環境が構築できた。構築という言い方はちょっとスケールとして大げさ過ぎる。

それ以外のことは何もしたくない。