ベリーマッチョ

すあだ先生(すあだ’さん’でもないし呼び捨てはあれだし、で、先生)が自分のチャンネルに生放送の録画をあげていて、二時間強もあるが全部見た。

すあだの宗教 ~イマジナリーフレンドとその位置~ by すあだ 日記/動画 - ニコニコ動画

最初の30分だけでも見ればわかるけど(そこだけでも絶対見て欲しい)、こういう人がいる・ということ自体が、世界(の大多数)にとってかなりのビックリだ。後半では自作アニメを作る動機となった体験も赤裸々に語られていて、久しぶりにエモくなってしまった。クリエイターとして尊敬する。

 

俺はなにもやりたいことがないし、人に伝えたい事もそんなにない。ちょっと絵が描けるから漫画を描いたりしているけど、それはそうしないと自分には何も無くなってしまうからだ、と思っているからだ。何も作らない自分の人生を考えると、寒々としてくる。だから、所詮作り残すことは生きていく糧で”しか”ない。それは動機として最低限であり、つまり最小の動機だ(と思う)。毎日小指で大きな岩を押していっても達成感なんかあんまり無い。5km進んでも10km進んでも(岩を押すこと自体に意味なんか最初から無い)。

しかし実生活を生きるにあたって……露悪的で下品でからっぽで、ややこしく込み入った自分、というものが羽を伸ばせるのは、こうやって何かを作っている時だけだろう。そう思ってもやっぱりどこか虚しい。褒められることは幾度となくあったのに、何故か、自分が褒められているという実感が全然ない。全然ないのだ。まるで赤の他人が褒められているようなこの微妙にズレた感じ。これは何だろう?

何か遠くに感じるかすかな手触りや、ありはしない物があるという実感、一度も見たことが無いのにそれを絵に描こうとする欲求、そういうもの。今俺は価値のことを考えているが、これらの不確かな動機は本当に価値あるものが生み出せるだろうか。価値について考えるのはナンセンスだ。しかし、考えてしまうよなぁ。

あきすて

自分は何がしたいんだろう、わからない。わかっているつもりではあった。しかしもう何年こんなこと考えて続けているのやら。人に会っても変わらない。

 

感情だけが正解ではない。手触りだけが正解でもない。考え抜いたことが正解とは限らない。考えたり悩んだ時点で負けなのではないかと今は感じる。それすら出てこない、衝動とか無我とかそういう極限の世界ではなくても、勝手に滲み出るものがそれがそう望むように出てくるだけでいい。それに訓練が必要なのは奇妙なことで、動物である練習を積み重ねるようなもので、逆にこれは思い出すということなのか、また俺は考えてるな。だめだだめだ

 

各々の見た世界は全部それぞれ違うので頑張らなくても滲み出るものだけで十分表現になってしまうと思うのだ。本当か?

なにもしたくないな。あいうえお、あいうえお、あいうえお、あいうえお

漫画完成しなくてもいいな、あいうえお あいうえお あいうえお あいうえお

 

友達と魚釣りに行ったら疲れたな。

人と話していて、なんとか得られるものを得ようと頑張って疲れる。話を聞いているふりをするのも疲れる。興味のない話よりぶっ壊れた話をしてほしい、俺はしないけど。疲れるからだ。

 

昨日マックを久しぶりに食べた。おいしかった。

 

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俺が

小さくいられないのが人間だったら。だとしたら、どうでもない。

今朝は目が覚めて、離人症というか、自分の名前や記憶は残っている(思い出せる)のに、今この瞬間にこの世に生まれついてしまったような感覚に襲われる。これは詩的に特殊な感覚を誇示してみせたのではないです。勘違いされるのは嫌だ。

離人症というのは、形容し難い感覚に襲われる症状のことで、うすいベール越しに世界を見てる感じとかそういう風にネットには書かれている。自分はピンとこないから離人症とは違うかもしれない。高校生の時、登下校が一番辛く精神的にかなり疲労していたので、今目に映る景色を映画かなにかのように思えば少しはましになるのではと考えた。これはうまくいかなかった。あれから今に至るまでまだ全然辛い。

 

自分の名前はわかる。今までの思い出せる限りの記憶もある。なのに、今この瞬間に自分が自分であることがすごく不自然に思われて、今自分のいるこの世界、現実が、仮想現実のように思えてくる。これはひどいときには本当に恐怖を感じる時があって、どこかで一線を越えたら戻ってこれない、現実に生きる人間としてではなくて、別の現実から仮想空間に(それこそゲームのように)精神を移しているだけのようになってしまう気がする。

これが一線を越えるとどうなるかというと、ゲームと同じで、人を殺したりしてもなんとも思わない(極端な例だ)。すでに心が現実の外に行ってしまっている。そういう人がこれまでいたのだろうか?不思議だ。自分が自分であることは必然だ。今はそう思える。こうやってキーボードを叩いている自分も現実感がある。当たり前のことだ。

作ってしまえるということも1つの失敗だ。能力や技術があるから作ってしまうことになる。実際にはその能力も技術も中途半端なので、中途半端なものが出来てしまう。

106曲作って全部捨てることにした。今朝からずっと体調が悪い。本当に最高に納得ができるものを求めると、今までの作ってしまえた結果がほとんど中途半端なものでしかないように思ってしまう。

こんなこと金になるならともかく、馬鹿げてると思われる。こうやって作っては捨てて何も残らない行為を続けて8年。失敗したいだけなのか。がっくりする。気分が落ち込む。

漫画に関してはこうはならないから不思議だ。自分の絵が嫌いと思ったこともないし、話もでっちあげの連続だからどうでもいい、書いててうんざりしてきた。終わり

今日は

少し酔い過ぎちゃった。朝、植木鉢の上に、枯れた魚をのっけていい気持ちに。そういうことは言うべきでもない。言うべきだ。コタツに入っていたら冬だ。時間はそうではない。そうだ。一緒に生まれてきた。それは違った。ベテランの気持ちになって浮ついた一日を過ごす。これは効果的だ。そうでもない。何かを、ずっと睨んでいたときに、写真を撮ろうと思って立ち上がってみたら、店の外に、車が止まっていて、これはよくないと思いつつも、ゆっくり被写体に向かってみた。そうだ、この感覚だ。今思えばこれは嘘だった。本当にそう思える瞬間がいつか来るといいのに。昼下がりが来るにしては遅いな。

 

7月が終わっていた。なんか嫌だ。少し孤独を感じる。人間相手ではなくもっと巨大な同化先を失った感じ(ここ、わざと難しく説明してるのではありません)。物理的にも精神的にも、部屋に1人こうやってキーボーード叩いてる時は一人だ。それら(物理的・精神的)と別にもう一つの場所でふと孤独になる、いや、書いてみたがこれは嘘だ。これは孤独ではなくて、不安な気持ちが精神の言い難い隙間に入り込んでしまったせいだ。

速くない

遊びに誘われるが全然興味が湧かない。一緒にいても面白くないと俺は思ってるけど相手に伝わらないようにしている。何もかもが間違いだ。卑屈ではないし嫌悪でもないし、他人に対しての興味がカラカラに乾いていて、終わってる。

本当に興味の湧く人なんて100人に1人くらいの気持ちでいるが、それ以外の人たちに対しては心底どうでもいい。一緒にいても楽しい話なんか一個も出てこないし相槌を打ってる間に頭はだんだんぼやけて話は右から左へ。俺の興味ある話なんか大抵人がしようとしない話だから仕方がない。

飽き、倦怠、無関心。

 

今興味のあることといえば、Lee Gambleの新譜が1つ。あとはツインピークスの続き見るくらいで、漫画描く(話を考える)のと音楽作ることを除けばそれしか残らない。それ以外のことに時間を割くのは無駄なのに俺は誘いを断れない。