心に響くドラえもんの言葉10選

ふとすっきりした。水曜日は大変だったな。英会話の助手を頼まれていたので毎週行っていたのだが、今週は新しい子供二人が親と一緒に来た。俺は教員じゃないからなーもできなかったが、まあ、教員じゃないからいいだろう。俺は、教員になる気もないし。しかしそれはそれとしてあれでよかったのかひっかかりはある、ひっかかりはあるが、ともあれ終わったことだ。すっきりした。

ビョークの新譜が金曜日に出た。俺は、Matt Coltonというマスタリングエンジニアの作る音響が好きで、Mattと、あとはRashad Becker、というかDubplates & Mastering(というマスタリングする人がいっぱいいる集団?)関係の仕事は間違いがなくて好きになってしまう。Jeremy Coxも最近台頭してきてるけどこれも良い。幸せだ。

で、ビョークの新譜のCDはマスタリングがあんまり好みではないが、配信サイトで売ってるMP3やFLACMatt Coltonがマスタリングしている、と踏んでいる(試聴した限りでは)。Mattのマスタリングした音源は、擬音で言うと「ソボボボッ」というそばを啜るような音になる。俺の耳には。その上、今回の新譜はArcaとのほぼ共作なのだけど、ArcaのアルバムのほとんどをMattがマスタリングしているので、可能性としてはほぼ100%で当たっているはずだ。

で、Ototoyで24bitのAlacを買ったのだった。CD自体も実は予約していたので、損したことになる。失敗した。とはいえこれは長く聴けそうだ。複雑で、絶えず生成変化していくような歌と、ここ数年の電子音楽シーン(とはいえそれも一部の話でしか無いのだが)の流れを汲んだ上でまだみずみずしさを湛えるバックトラック、フルート楽団の響きもハープの音色も素晴らしいと思う。今年のベストかなぁ。次点がKelela。

 

以下にMattがマスタリングした曲を貼っていく。

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無くなった

犬も16を越えてすっかり体も頭も弱ってしまい、夜中に吠える暴れる粗相するなどで家族も面倒を見ていたが、負担が大きいことと、本人も可哀想だというので安楽死を選択した、今日がその日で、さっきそれが終わった。母といとこと叔母さん(父の姉)は泣いていた。父と妹と自分は泣かなかった。

去年末、猫が一匹急死した。倒れたまま目の前でゆっくり呼吸が止まっていく光景を飲み込めないでいつつも、自分は結局泣かなかった。涙が出ないのはおかしいのだろうかと、こういう時思ってしまう。この猫(マル)はたまに夢に出てきて、俺は「やっと帰ってきたな」と思う。死んだことと、時々脱走してなかなか帰ってこなかったこととが、脳内では一緒くたになっているのかもしれない。でも実際に帰ってくるなんて起きているときは思わない、死んだら帰ってこれないのは知っているのに、夢の中の自分がそう考えないのは不思議だ。もしかして、本心では死は一時的なもので、またいつか帰ってくるものだとしか感じられていないのか。

犬(武蔵)との思い出はあるが、霧の向こうのように霞んでほとんど思い出せない。一緒にキャンプに行ったとか、車の窓から顔出して鴨川まで行って散歩して、たまに脱走して探し回って遠くのメス犬のところにいたとか、エピソードとして記憶していても情景はまったく浮かんでこない。

あの時、自分がどういう気持で武蔵に接していたのか、思い出せない。きっと泣くほど思い入れがないということだと思う。こういう時、心が乾いている気がしてしまう。祖父母が夏に亡くなった時も……。

本当に死んだのだという実感を持つのは、すごく難しい。空になったゲージとか、ホコリ被ったエサ皿とか、そういう残された空白を見た時に、少しずついなくなった事がわかってくる。その時は少し悲しい、やっと涙が少し出る。

ベリーマッチョ

すあだ先生(すあだ’さん’でもないし呼び捨てはあれだし、で、先生)が自分のチャンネルに生放送の録画をあげていて、二時間強もあるが全部見た。

すあだの宗教 ~イマジナリーフレンドとその位置~ by すあだ 日記/動画 - ニコニコ動画

最初の30分だけでも見ればわかるけど(そこだけでも絶対見て欲しい)、こういう人がいる・ということ自体が、世界(の大多数)にとってかなりのビックリだ。後半では自作アニメを作る動機となった体験も赤裸々に語られていて、久しぶりにエモくなってしまった。クリエイターとして尊敬する。

 

俺はなにもやりたいことがないし、人に伝えたい事もそんなにない。ちょっと絵が描けるから漫画を描いたりしているけど、それはそうしないと自分には何も無くなってしまうからだ、と思っているからだ。何も作らない自分の人生を考えると、寒々としてくる。だから、所詮作り残すことは生きていく糧で”しか”ない。それは動機として最低限であり、つまり最小の動機だ(と思う)。毎日小指で大きな岩を押していっても達成感なんかあんまり無い。5km進んでも10km進んでも(岩を押すこと自体に意味なんか最初から無い)。

しかし実生活を生きるにあたって……露悪的で下品でからっぽで、ややこしく込み入った自分、というものが羽を伸ばせるのは、こうやって何かを作っている時だけだろう。そう思ってもやっぱりどこか虚しい。褒められることは幾度となくあったのに、何故か、自分が褒められているという実感が全然ない。全然ないのだ。まるで赤の他人が褒められているようなこの微妙にズレた感じ。これは何だろう?

何か遠くに感じるかすかな手触りや、ありはしない物があるという実感、一度も見たことが無いのにそれを絵に描こうとする欲求、そういうもの。今俺は価値のことを考えているが、これらの不確かな動機は本当に価値あるものが生み出せるだろうか。価値について考えるのはナンセンスだ。しかし、考えてしまうよなぁ。

あきすて

自分は何がしたいんだろう、わからない。わかっているつもりではあった。しかしもう何年こんなこと考えて続けているのやら。人に会っても変わらない。

 

感情だけが正解ではない。手触りだけが正解でもない。考え抜いたことが正解とは限らない。考えたり悩んだ時点で負けなのではないかと今は感じる。それすら出てこない、衝動とか無我とかそういう極限の世界ではなくても、勝手に滲み出るものがそれがそう望むように出てくるだけでいい。それに訓練が必要なのは奇妙なことで、動物である練習を積み重ねるようなもので、逆にこれは思い出すということなのか、また俺は考えてるな。だめだだめだ

 

各々の見た世界は全部それぞれ違うので頑張らなくても滲み出るものだけで十分表現になってしまうと思うのだ。本当か?

なにもしたくないな。あいうえお、あいうえお、あいうえお、あいうえお

漫画完成しなくてもいいな、あいうえお あいうえお あいうえお あいうえお

 

友達と魚釣りに行ったら疲れたな。

人と話していて、なんとか得られるものを得ようと頑張って疲れる。話を聞いているふりをするのも疲れる。興味のない話よりぶっ壊れた話をしてほしい、俺はしないけど。疲れるからだ。

 

昨日マックを久しぶりに食べた。おいしかった。

 

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俺が

小さくいられないのが人間だったら。だとしたら、どうでもない。

今朝は目が覚めて、離人症というか、自分の名前や記憶は残っている(思い出せる)のに、今この瞬間にこの世に生まれついてしまったような感覚に襲われる。これは詩的に特殊な感覚を誇示してみせたのではないです。勘違いされるのは嫌だ。

離人症というのは、形容し難い感覚に襲われる症状のことで、うすいベール越しに世界を見てる感じとかそういう風にネットには書かれている。自分はピンとこないから離人症とは違うかもしれない。高校生の時、登下校が一番辛く精神的にかなり疲労していたので、今目に映る景色を映画かなにかのように思えば少しはましになるのではと考えた。これはうまくいかなかった。あれから今に至るまでまだ全然辛い。

 

自分の名前はわかる。今までの思い出せる限りの記憶もある。なのに、今この瞬間に自分が自分であることがすごく不自然に思われて、今自分のいるこの世界、現実が、仮想現実のように思えてくる。これはひどいときには本当に恐怖を感じる時があって、どこかで一線を越えたら戻ってこれない、現実に生きる人間としてではなくて、別の現実から仮想空間に(それこそゲームのように)精神を移しているだけのようになってしまう気がする。

これが一線を越えるとどうなるかというと、ゲームと同じで、人を殺したりしてもなんとも思わない(極端な例だ)。すでに心が現実の外に行ってしまっている。そういう人がこれまでいたのだろうか?不思議だ。自分が自分であることは必然だ。今はそう思える。こうやってキーボードを叩いている自分も現実感がある。当たり前のことだ。

作ってしまえるということも1つの失敗だ。能力や技術があるから作ってしまうことになる。実際にはその能力も技術も中途半端なので、中途半端なものが出来てしまう。

106曲作って全部捨てることにした。今朝からずっと体調が悪い。本当に最高に納得ができるものを求めると、今までの作ってしまえた結果がほとんど中途半端なものでしかないように思ってしまう。

こんなこと金になるならともかく、馬鹿げてると思われる。こうやって作っては捨てて何も残らない行為を続けて8年。失敗したいだけなのか。がっくりする。気分が落ち込む。

漫画に関してはこうはならないから不思議だ。自分の絵が嫌いと思ったこともないし、話もでっちあげの連続だからどうでもいい、書いててうんざりしてきた。終わり